変わり種ちーずの日常

きまぐれコラム。ポテチ片手に読んでみてね。

おとしもの

 お久しぶりです。

 

季節の変わり目ですが

みなさんお元気ですか?

 

 

投稿のペースは

大雑把なのもご愛嬌(自分で言う)😼

 

いやぁ、秋ですねぇ。秋、好き。

 

涼しい風に当たりながらキンモクセイの香りが漂う並木道を歩いていると、

 

生きててよかった!

 

って本当に思います٩(´0`)۶

 

そんな素敵な秋に

わたしはスマホを落としました🙄…

 

でも、

スマホと距離を置いた一週間で

今まで便利すぎる日常で忘れていた

 

あえて手間をかけること

 

の大切さを改めて思い知らされたので

今日はなんとなくそんな話を

ここに書き留めます📝

 

 

このご時世、

スマホがないと

不便きわまりない!

 

その言葉通り

わたしももれなく

不便をたくさん被りました…🙀

 

初めていく場所へのマップがその場で調べられない為、家のpcからプリントアウトした地図を使ったり😞💦

そして最大の難点は

周りとの連絡が取れなくなったこと。

仕方がないのでpcを使ったり、家では

 

外出するので

21時までは探さないでください。

 

って感じで、

家族に置き手紙を書いたり✉️

 

スマホがあればこんなことせずとも

一瞬でコミュニケーションを取ることができます。

 

でも

コミュニケーションに手間をかけなくなるということは

 

気持ちを相手に伝えるために

言葉を一生懸命選んで

苦しんで紡ぎ出すこともせず

自分が放った言葉に自覚を持つことが

できなくなっていく。

 

たとえば

インターネットで

有名人の誹謗中傷のコメントを書く。

 

スマホができて、それがpcからよりもより手軽に出来るようになりました。

 

 そんな最高で最悪な環境のもと

何食わぬ顔で匿名として

 

"手軽に"

 

 

言葉のナイフを容赦なく刺す。

 

凶器を向ける側は、

自分の放った言葉に自覚がないゆえに

その暴力性、狂気がいかなるものか

理解していないように感じます。

 

これってすごく怖いことだと思います。

そこには剥き出しの感情だけ。

その人のことを想って

手間暇かけて

精製された言葉は

どこに行ってしまったのでしょうか?

 

いろんなことが

便利になっていくことは

ありがたい。

でも

言葉を伝える手段が

たとえどんなに便利になっても

なにげなく発した言葉が

知らないうちに誰かを傷をつけることが

なるべくないように

 

なるべく時間をかけて

 

手間をかけて丹精込めて!

 

言葉を贈ろう。

 

不便なこともたくさんあったけれど、

そんなことに思いを巡らせた

スマホのいない一週間は

なんだかすごく不思議な気分でした

 

便利さと引き換えにして

大事なものを

落とさないように😌📱✨

 

あ、

スマホは落としちゃダメですよ〜🙅

 

それでは🌟

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8月32日。

こんばんは。

お久しぶりの投稿です。

 

🎶いまの気分は

クラムボンさんで

Across The Universe でお送りします🎶

 

みなさんにとって、今年の夏はどんな夏でしたか?

 

わたしは、約2ヶ月半ある夏休みを

それなりに考えて

感じて

行動して

過ごせたのではないかと勝手に思っています。

 

その理由のひとつはやっぱり

ロシアでのワークキャンプ

ここで、人と関わりを持つことでコミュニケーションへの感じ方がまた少し変わりました。

 

人って根本的には孤独です

地位や名声、肩書きを玉ねぎみたいにむいてったら、

つるつるで何もない状態になります。

これが本当の姿。

 

これはどんな社交的な人にも同じことが言えると思うのですけど。

 

だから、やっぱり結局のところ

人は人と関わることで元気になります。

 

もちろんストレスも生じるでしょうし、窮屈に思うこともあるかもしれませんけどね。

 

なんでこんなことを考えたというと、(結局いろいろあってブログを更新できなかったのですが)英語圏ですらない国で、人とのコミュニケーションから逃げられない状況の中に、2週間放り込まれたからだと思います。

 

けれど、ビクビクしている暇はなく、

とにかく誰かと話さなければ、

ホテルにチェックインができない

タクシーに乗れない

食べ物や飲み物が買えない

電車に乗れない

 

などなど…

様々な障壁が生じます。

否が応でも人と関わらざるを得ない。

 

そんな生活を通して

 

どのくらい上手に話せるかを心がけるの

ではなく、

どのくらい熱意を持って相手と向き合ってコミュニケーションをとろうとするか

によって、相手の反応が全然変わってくるということを実感しました。

 

 

日本人気質な私はやっぱり人から見られる自分の体裁を気にして、

うまく喋れてなかったら恥ずかしい

かっこわるい

と思って、恥ずかしながら初日は売店で水すら買えませんでした(えっ

 

けれど、ある日ワークキャンプの仲間の中の1人が、

ハンバーガーショップで

英語を全く理解していないおばちゃん店員に向かって堂々とした態度で英語を話し始め、あろうことかそれが正しく伝わっていたことを知り、

 

やっぱり伝わるか迷うのではなく

伝わるようにコミュニケーションを工夫することで、相手にも気持ちよく伝えることができるんだ。

 

ってすごい中学生からやり直したい気持ちになった反面、すごく当たり前のことだけど、やっと「納得」できたと感じました。

 

言葉は通じなくても、

困っている時にはいつも道ですれ違った人がさりげなく助けてくれたり

 

ロシア語が話せなくて、

必死でジェスチャーをする私の姿に笑いながらも、優しく対応してくれた店員さんの存在があったり

 

一部では

 

おそロシア

なんて呼ばれることもあるけれど

 

人々もとても温かくて素敵な国だった、という事実は自分自身でコミュニケーションを通してこそ実感できましたし

やはり

ロシアは怖いところ

というバイアスをかけてしまっていた自分を反省し、

百聞は一見にしかずとはこのことだと思い知らされた夏でした。

 

人は人と関わることで

いろんなふうに変わっていくんだな、と

改めて感じました。

 

そんなこんなで、8月も終わってしまいましたが…

私はなんやかんやでまだ終わって欲しくなかったので、今日の日付を

 

8/32

 

と記して今日はおしまい~⭐︎

 

見てくれてありがとうです

次回はいつになるやら〜(汗

 

おやすみなさい🌛

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まる子はひとりロシアに行く 〜プロローグ〜

 

まるちーずですこんにちは。

 

今、

ロシアはサンクトペテルブルクにいます。

 

目的はノヴォデヴィチ女子修道院でのボランティア。

ご存知の通り。ここは世界遺産にも登録されている、由緒ある修道院です

昨日到着し、ホテルに一泊し、今日現地へと向かいます。

 

なんで一人でそんな遠いところまで行くのかとお思いの方もいらっしゃると存じますが

 

これは計画していたことなのです。

 

事の発端は去年、大学一年生のときの初めての夏休み。

本命だったアイルランドへの短期留学を断念し、悔しい思いをした私は一念発起。

 

じゃあ自分で探してやるよ!!!

 

と吹っ切れて、山口県での地域活性化プログラムに参加しました。(これについては機会があれば後日詳しく書こうと思います)

 

ぶっちゃけ最初は、『私の代わりに行った人と同じくらいの経験をしてやる』という

完全なる反骨精神のもとで応募し、ボランティアも英語での生活もほぼ未経験のまま、ひとり山口県へ向かいました。

 

しかし、2週間弱、年齢もバックグラウンドも様々な人たちとひとつ屋根の下で英語を使いながら暮らす経験をしたことは、私にとって大きな糧となり、

自信になりました。

 

確かに、自分の未熟さに悔しくなったり、言葉のニュアンスがうまく伝わらなくて冷や汗をかいたり…などなど

色々苦難はありましたが

 

それでも自分で作った人脈や、自分の力で助けることのできた人たちと巡り合えたことは本当にありがたかった。

そして  

 

来年は海外に行こう!!

 

去年の私は決めました。

 

そう、19歳の私は20歳の自分へ

【挑戦】

という夏休みの宿題を課したのです。

 

そんなこんなで、

備忘録としてこのロシア滞在中の出来事について

ゆるく、時に真面目に日記をつけようと思います。

 

番外編のはじまりはじまり〜

 

お時間あれば覗いてってね✨

 

 

 

 

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こんばんは。まるちーずです。

夏は夜が涼しいのが唯一の救いだというのに、なんですかこの暑さは。

 ま、それは置いといて。

突然ですが、皆さんはやけに心の中に残っている小さい頃の思い出はありますか。

 

「お弁当を見られるのが嫌」

それが、いわゆるイヤイヤ期に差し掛かりかけていたわたしの最初の「イヤイヤ」でした。


あれは幼稚園の年少さんくらいのころの出来事

多くの幼稚園がそうだったように、わたしの通っていた近所の幼稚園でも、お昼ご飯の時間になると、みんなで机に並んで向かい合い、お弁当を持ち寄って食べます。子供たちは無邪気にお弁当の時間を楽しんでいました。
そんな中、私はひとり、必死でお弁当を隠すようにして食べる…
一応ことわっておくと、私のお弁当は毎朝母に作ってもらっており、見せて恥ずかしいようなお弁当では決してなかったのです。
でも、人に自分のお弁当を見られるのが、たまらなく厭だった。

 

なぜ。

 

今考えれば、これが何を比喩していたのかといったことがだいたい顕在化できるような気がします。

つまるところ、偏食持ちだった私のお弁当は、母によって私の大好きなものが敷き詰められた秘密の花園だったのです。

お弁当=秘密の宝箱みたいな。わかるかな。この感じ…伝われ
誰にもこのテリトリーに入って欲しくない、無論、おかずの交換なんてもってのほか。
母が作ってくれたごはん以外はほとんど手をつけず、旅行などに行っても美味しい料理をそっちのけで、家から持ってきたふりかけをごはんにかけて食べる始末。カニを静岡の有名なお店まで食べに連れて行ってもらった際も、一切口にしませんでした。(今思うと勿体無くてハンカチーフを噛みしめる

 

今でこそ食事は誰かと一緒にとることによってその豊かさを実感することができるものだと思っていますが、この頃のわたしは、自分の好きなもの、好きな空間を自分だけのテリトリーの中に押し込めて、独り占めしたかったのだと思います。

 

そのオカズ美味しそう〜!

 

とか言われると全力で逃げました。

 

見ないで!!私のおべんと!!

ちょ!やめて!!

 

てな感じで。

 

 

お弁当から始まり、心のシャッターを下ろし続けていた私は集団生活が大の苦手で、

仲の良いオトモダチ二、三人以外とはコンタクトを一切とらずに1人で泥団子を作ったりしていたため、色んな意味で一目置かれていました。

 

幼いながらに、その雰囲気を敏感に感じ取るアンテナはすでに持ち合わせていたので、いつもどこかで世界と自分との間にある違和感を感じてきました。

悪気のないであろう、変わってるね、という一言に何度も傷つき、葛藤を繰り返して曲がりなりにも少しずつ成長して、未熟ではありますが今に至ります。

 

そう、変わってるねは誉め言葉。

 

そう思うようにしたら、とても心が軽くなって、生きやすくなったのです。

 

まぁこんな具合で、小さい頃の自分は、今の自分の核の部分でもあります。その頃の自分ともう一度対話してみると、いま躓いていることの解決の糸口が見つかるかも。

 なんてことをふと思ったので唐突ではありますが記事にしました。

 

こんなふうに、日々の生活のなかで生きづらさを感じる時に、それを上手に乗り越えていくためのヒントを思いついた時につらつらと書く日記です。

 

 

もしよろしければ

たまに覗いてみてください✨

 

 

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