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こんばんは。まるちーずです。

夏は夜が涼しいのが唯一の救いだというのに、なんですかこの暑さは。

 ま、それは置いといて。

突然ですが、皆さんはやけに心の中に残っている小さい頃の思い出はありますか。

 

「お弁当を見られるのが嫌」

それが、いわゆるイヤイヤ期に差し掛かりかけていたわたしの最初の「イヤイヤ」でした。


あれは幼稚園の年少さんくらいのころの出来事

多くの幼稚園がそうだったように、わたしの通っていた近所の幼稚園でも、お昼ご飯の時間になると、みんなで机に並んで向かい合い、お弁当を持ち寄って食べます。子供たちは無邪気にお弁当の時間を楽しんでいました。
そんな中、私はひとり、必死でお弁当を隠すようにして食べる…
一応ことわっておくと、私のお弁当は毎朝母に作ってもらっており、見せて恥ずかしいようなお弁当では決してなかったのです。
でも、人に自分のお弁当を見られるのが、たまらなく厭だった。

 

なぜ。

 

今考えれば、これが何を比喩していたのかといったことがだいたい顕在化できるような気がします。

つまるところ、偏食持ちだった私のお弁当は、母によって私の大好きなものが敷き詰められた秘密の花園だったのです。

お弁当=秘密の宝箱みたいな。わかるかな。この感じ…伝われ
誰にもこのテリトリーに入って欲しくない、無論、おかずの交換なんてもってのほか。
母が作ってくれたごはん以外はほとんど手をつけず、旅行などに行っても美味しい料理をそっちのけで、家から持ってきたふりかけをごはんにかけて食べる始末。カニを静岡の有名なお店まで食べに連れて行ってもらった際も、一切口にしませんでした。(今思うと勿体無くてハンカチーフを噛みしめる

 

今でこそ食事は誰かと一緒にとることによってその豊かさを実感することができるものだと思っていますが、この頃のわたしは、自分の好きなもの、好きな空間を自分だけのテリトリーの中に押し込めて、独り占めしたかったのだと思います。

 

そのオカズ美味しそう〜!

 

とか言われると全力で逃げました。

 

見ないで!!私のおべんと!!

ちょ!やめて!!

 

てな感じで。

 

 

お弁当から始まり、心のシャッターを下ろし続けていた私は集団生活が大の苦手で、

仲の良いオトモダチ二、三人以外とはコンタクトを一切とらずに1人で泥団子を作ったりしていたため、色んな意味で一目置かれていました。

 

幼いながらに、その雰囲気を敏感に感じ取るアンテナはすでに持ち合わせていたので、いつもどこかで世界と自分との間にある違和感を感じてきました。

悪気のないであろう、変わってるね、という一言に何度も傷つき、葛藤を繰り返して曲がりなりにも少しずつ成長して、未熟ではありますが今に至ります。

 

そう、変わってるねは誉め言葉。

 

そう思うようにしたら、とても心が軽くなって、生きやすくなったのです。

 

まぁこんな具合で、小さい頃の自分は、今の自分の核の部分でもあります。その頃の自分ともう一度対話してみると、いま躓いていることの解決の糸口が見つかるかも。

 なんてことをふと思ったので唐突ではありますが記事にしました。

 

こんなふうに、日々の生活のなかで生きづらさを感じる時に、それを上手に乗り越えていくためのヒントを思いついた時につらつらと書く日記です。

 

 

もしよろしければ

たまに覗いてみてください✨

 

 

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