毎年
毎年、思い出さなければならないことがある。
それは、私にとって忘れたくても決して忘れることのできない出来事で、鈍い痛みとともにふとしたとき、私の心の中にやってくる。
長年自分の中に渦巻いていた複雑な思いを文字にしたためるのは、すごく勇気のいることで、ましてやこれをSNSにのせるなど考えもしていなかった。
この痛みを"人目につくことろ"に公開することに対して、彼女に対して後ろめたい気持ちがしてならなかったのだ。
でも、今の気持ちを"書く"こと、そして無理のない範囲で"読んでもらう"ことで、自分の中で止まっていた何かが動き出すかもしれない。
そう思って、自分のためにこの文章を書いている。ジコチューだ。ごめんなさい。
わたしの大切なひとが旅立ったのは、ちょうど7年前のきょう。11月21日。
あの日も今日のように気持ちの良い秋晴れだったと思う。
それは本当に突然の出来事で、まだ14歳だった私は、大切な人を亡くした瞬間から、ただただ愕然としながらやり過ごすことしかできなかった。
どこにもぶつけることのできない怒り、悲しみ、寂しさを、毎日を忙しく過ごすことでなんとかごまかそうと必死に生きていた。
"可哀想"
自分をそう思いたくなかったし、思われたくなかった。
今会えるなら、あの頃の私をきつく抱きしめてあげたい。
辛いね。
この痛みを消すことはできないし、この大きな穴は他の誰にも埋めることができない。
でも大丈夫。たぶん、大丈夫になるから。
って繰り返し言ってあげたい。
そしたら彼女はきっとたくさん泣いて涙を流して、それから少し寝て、そしてまた毎日を生きるのかな。
でも、どちらにしても今ここで私が生きているから、彼女は大丈夫だ。きっと。
この出来事をうまい具合に消化できる頃にはきっと私はおばあちゃんになってるのかもしれない。
あるいは、おばあちゃんになっても無理なのかもしれない。
でも、今私が生きてることだけで誰かの勇気になったりしてることもあるっぽいし、日々大変だけどそれをちょっとずつ乗り越えながら大人になっていくことが、せめてもの孝行
だと思う。思いたい。
今日もいい秋晴れだよ。おかーさん。